代表者挨拶&自己紹介

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ハートリンク・コミュニケーションズ代表の高村拓穂です。

私は1970年生まれ、名古屋の出身です。
日本で大学を卒業後、1993年4月、英語留学のためにシンガポールへやってきました。
最初は1年間の語学留学後、日本に戻り就職するつもりでしたが、シンガポールで就職先が見つかり、結局日本へ戻ることなく現在に至っています。

まもなくシンガポールで生活を始めて9年が過ぎようとしています。その間、3つの会社で働いてきました。
なぜシンガポールで働きつづけたのか、英語が得意でない(大学受験時の英語の偏差値は40台前半でした)、ありふれた日本の大学の商学部を卒業した私ですが、シンガポールで働いていたからこそ出来た様々な経験は、日本で普通に就職していたら簡単には経験できないことばかりだと思っています。

23才、最初に入社した企業は、シンガポール証券取引所にも上場する地元資本の大手食品商社、たった1人の日本人社員でした。

その会社はキッコーマン醤油のシンガポール総代理店をしており、私に与えられた仕事はそのキッコーマン醤油のシンガポールマーケットのマーケティング担当でした。日本とは国の大きさが違うので比較はできませんが、まかりなりにもキッコーマンという世界的ブランドのシンガポール全体のマーケティングを日本での仕事経験もない私に任されたのです。

シンガポール人の同僚にも助けられ、発注計画を練り、広告プランを考え、営業マンを統括し、シンガポールのスーパーマーケットを隅から隅までまわる毎日を過ごしました。まだ経験が浅かったことから当時の給料は就労ビザ発給の最低給与である$1500(現在の最低給与は$2500)。
まだ一人身だったこともあり、少ない給料でもなんとか生活していました。

(注) 当時、就労経験のない私が就労ビザを取得できたのは、1)ビザの発給基準が緩かった 2)就職先企業が地元資本の上場企業であった ことが大きな理由だと思います。現在は就労経験がない場合のビザ取得は相当困難です。

次に入社した企業はこれも地元資本の老舗旅行会社。26才の時でした。
かねてから旅行業界に興味があった私は直接自分を売り込みに行き、『必ず売上をアップしてみせる』と意気込みを伝え内定を獲得、開設してまもないシンガポール在住日本人向けの旅行手配部門の責任者として仕事を始めました。

新しい部署なので、何から何まですべて用意しなければなりません。旅行商品の企画、案内パンフレットの作成から始まり、お客様への対応はもちろん、社員旅行の添乗もしました。

知名度の低いローカル旅行会社故に、お客様の信頼を勝ち取るために100%日本語対応を目標に掲げ、お客様へのケアーを第一に考えた営業・接客を続けた結果、1度利用されたお客様から他のお客様を紹介して頂けるようになり、紹介・口コミのお客様が全体の半分以上を占めるまでに成長、日本大使館の仕事を頂けるまでになりました。

28才の時、3社目にして初めて日系企業に入社、シンガポールで起業した日本人社長の下で働くことになりました。

ここでは新規の小売・サービス業を立ち上げるという計画の下、事業の企画・立ち上げからスタートしました。提案した幾つかの新規事業案の中から、当時日本で急成長を遂げていた100円ショップをシンガポ-ルでチェーン展開する案が採用され、新会社の設立、日本での商品供給元であるダイソーとの交渉・商品選択、店舗立地の選定・内装、日本人スタッフ・ローカルスタッフの採用と会社立ち上げの過程を責任者として全て経験することが出来ました。

この経験が現在の自らの会社設立に大きく役立ちました。(この会社はマスコミでも大きく取り上げられ、現地英語新聞である『STRAITS TIMES』、現地中国語新聞である『連合早報』、現地日本語ラジオ放送局である『ハローシンガポール』、国際的なニュース専門テレビ局である『CNBC』、海外就職を目指す方にはおなじみのアルク『国際派就職辞典2000年度版』など数多くのマスコミからインタビューを受けました)

30才の時、我が家に娘が生まれました。新たな希望の誕生でもあり、同時に大きな責任が加わりました。100円ショップビジネスも順調に成長、シンガポールだけでなくマレーシアやサンフランシスコにも店舗を展開、戦略上の理由で本社もシンガポ-ルから日本へ移転、ベンチャーキャピタル数社の出資も決まりました。その反面、私の仕事の内容も次第に全体の一部分になっていきました。

私自身の長所でもあり、同時に短所でもあるのですが、常に新しい仕事、ゼロからの仕事に魅力を感じます。ある程度事業が大きくなるとまた新たなことに挑戦したくなるのです。こうして私はかねてからの夢であった独立へ目を向けるようになりました。

娘がまだ幼い今だからこそ独立のチャンスだ、娘が成長しいろいろとお金がかかる年齢になってからの独立は今以上に勇気が必要になるし失敗も許されない、その時果たして自分に独立するパワーがあるのだろうか? 1ヶ月ほどの自問自答の末、独立を決意しました。

逆にこれがもし娘が生まれる前だったとしても、子供が欲しいから今は冒険できないという理由で独立しなかったでしょう。まさに娘が生まれたからこそ、今こうして新しい事業を自らスタートすることができたのです。

ハートリンク・コミュニケーションズも娘同様に生まれたばかりの小さな会社です。この2つの新しい希望を何とか1人前に成長させるのがこれからの私の仕事になります。

2001年11月(創業時)   高村 拓穂

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